中学生の自殺について
道徳は英語で、moral education と言います。
モラル教育です。本日はモラルについて書きたいと思います。
自殺は連鎖する。という言葉があります。
連日のニュースを聞いて触発、もしくは共感を覚えるのでしょうか?
それとも”新しいきっかけ・死に方・環境”を知り、
発作的に行動してしまうのでしょうか?
自分は昔から”他者理解”に興味があり、
理解するためには色々な経験が必要だと感じ、行動に移してきました。
ですが自殺や自傷行為については未経験です。
なので「気持ち、わかるよ」が使えません。
寄り添うことはできるのですが、完全に理解してあげることはできないのです。
自殺とまではいかなくとも、大人子ども関係なく、人はよく自傷行為に走ります。
やけ食い、やけ酒なども一種の自傷行為です。
夜中まで仕事をして、深夜に無性に食べたくなる牛丼、ラーメン。
身体に悪いのは理解していながらも、ついやってしまう。
これらは間違いなく自傷行為でしょう。
さて、冒頭のモラル教育についてですが、これはきちんと行われるべきです。
決して道徳の時間は席替えの時間ではないのです。
道徳とは、道徳的心情、道徳的実践力を磨き、道徳的判断力を養う必修科目です。
噛み砕いて言うと
”日本国内でより良い生活を送る上で、相手の気持ちを思いやり、
困っている人を助け、それを適切に行えるタイミングや行動について”
を学ぶ科目です。
この道徳=モラル教育ができていない場合、
心が育たず、思い通りに生きるために他人を傷つける大人になってしまいます。
つまり、不満や怒りを抱えながらも他者を傷つけず、
自分を傷つけ、自分を殺してしまう人には少なくともモラルがあります。
”憎まれっ子世に憚る”とは言い得て妙だと思います。
余談ですが、道徳は3年後に必修科目から教科に変わります。
教科に変わると何が起こるかというと、以下の3点が大きな変化となります。
①道徳科の免許が教える際に必要となる
②評価と評定が必要になる(通知表の成績欄に、具体的な数字がつく)
③学期末テストが行われるようになる
塾で模範回答集みたいなものが配られるようになるのでしょうか?
そもそも何故道徳が今まで教科ではなかったかというと、
道徳性=モラルというものは一般的に家庭で教えられてきたからです。
ですが核家族化や共働きによる鍵っ子状態の子どもの増加により、
今までのような家庭任せではマズいと判断され、教科化されることになりました。
何度もここでは書いていますが、
教育は、家庭、学校、地域が連携して行われるものであるはずが、
教育は、学校で行われるものにすり替わってしまっているご家庭が増えてきました。
簡単に言うと、お客様気分の保護者が急増しているのが現状です。
なので道徳の教科化に政権は踏み切ったのでしょう。
さて、タイトルの自殺の話に戻ります。
果たして教員は生徒の自殺を止められるのか。
これは非常に難しいことです。
もちろん私たちは子どもに対してオープンですし、
相談室を設けカウンセラーに常駐してもらうなどの行政的措置を取り、
休日に時間を見つけ、自分たち自身でカウンセリング研修を受けています。
それでも自殺は起こってしまいます。
そもそも”もう自殺しか助かる道は残っていない”と判断したものを止めることは、
非常に難しいのです。
子どもは経験や判断材料が大人ほど充実していません。
学年、学級、個人単位で何度も注意喚起や情報提供はしていますが、
それでもなんらかの要因で塞ぎ込んでしまった子どもには追加情報は入りません。
私たちにできることは、寄り添うことと、目を離さないことだけです。
塞ぎ込んでしまった扉に、隙間ができるのを待つだけです。
隙間ができたら、暖かく迎えてあげる。そのための準備を怠らないことです。
まさに24時間教員でいることが求められます。
教員はそのような覚悟のもと、日々の業務に臨んでいます。
私がここで言えることはただ一つ、”自殺はするな”だけです。